景清伝説 2 「景清陣屋址」

 JR久留里線上総清川駅で下車し、久留里線に沿って走る国道410号を右手(久留里方面)に歩くことおよそ150m、左手に木更津東邦病院の大きな建物が目に入ってきます。病院を見ながら歩みを進めて参りますと、前方100m程のところに東京湾アクアラインへとつながる東京湾アクアライン連絡道の高架橋が見えます。連絡道の下をくぐり抜け50m程歩くと左手にNTT清川電話交換センターの建物に行き着きます。

国道410号 左の建物が木更津東邦病院を進む ↓

東京湾アクアライン連絡道高架橋を進む ↓

高架橋先左のNTT清川電話交換センター手前を左折 ↓

 その建物の手前の細い道(普通自動車1台がようやく走れるほど)を左に入り進みます。3か所ほど道が交わる個所がありますが、左手に走っている東京湾アクアライン連絡道高架橋と平行する方向へ進んで行きます。200m程進んで行くと前方に小櫃川が見えてきます。同時に、小さな杜(もり)が見えてきます。

左折後200m程進むと田園風景の中に杜が見えます ↓

田園の中の杜(もり)

眼前を流れる小櫃川(おびつがわ)と桜の木

「景清」の名が刻まれています

 この杜こそ、藤原景清ゆかりの址(あと)なのです。この場所は、『景清陣屋址』と言われ、景清が長じてこの地に陣屋を構えたと伝えられています。
 ところがこの陣屋址、地元の我々でもほとんど知らない存在なのです。元々は、この場所ではなく、眼前に流れる小櫃川の河川改修工事により川床になってしまったため、工事終了後に今の場所に移転したと言う経緯があります。鳥居の前に立つ解説板に簡単な説明があるだけなのが残念です。

 それにしても天下の「悪七兵衛景清」の陣屋址とされる地なのですから、もう少し手厚く管理したり、「伝説の地」としてアピールしても良いように思われます。
 ひっそりとした陣屋址の祠(ほこら)の脇には、なんと「三笠宮殿下御手植えの木」があるのです。これには驚かせられます。さすがに平景清ですね。
 静かな杜の中で、「御手植えの木」が、平安時代の武将景清の存在を「この清川の地に後世まで伝えていくように」と語りかけているようです。

歴史を示す唯一の解説板

祠(ほこら)

三笠宮殿下御手植えの木

景清陣屋跡の解説板   「解説板の内容」
  景清陣屋跡
平景清は平氏の勇将で藤原忠清の子して夷隅郡大原町十光寺谷で生れ幼名千光丸と称しました 景清が長じてこの地に陣屋を構えたと伝えられ当時の遺物と称する甲冑や剣等が伝えられ又井尻に当時利用したと伝えられる景清井戸も残っております寿永二年平維盛に従って源義仲追討の軍に加わったが敗北しこの年七月に平氏一族が都落ちするに及んで行を共にしました小櫃川河川改修工事によりこの地に移転しました                            昭和四十八年四月二十日

祠の目線で

※ 【長じて】の意味 「成長して・年取って・出世して・好きで・気に入って」など・・・。
※ 【陣 屋】の意味 時代によって多少異なるようですが、「武士の詰所・臨時軍営所・城を持たない武将の屋敷・地頭の屋敷など・・・。

 

 

2016年04月09日